The World of TONSEi RECORDS??u?????o

日曜日, 11月 17, 1996

1996年11月17日 高円寺20000V

1996年11月17日/遁生 高円寺20000V

●共演
マスタード・マスターベーション、エレクトリック・ジェット・ロール・マシーン他

●セットリスト
1.言語操作不能
2.誕生
3.オレハ貝ニナル
4.小サナ瓶ノ中デ僕ハ眠ル
5.夢
6.君をさらって
7.自爆


●有り難きお言葉(O様より)
 早速ですが昨日の遁生の感想を。
 久しぶりのせいもあって新たな気分で新鮮でした。これまでは遁生の音楽によるエンターテイメント性を少々心配していたのですが、ファン以外の聴衆への吸収の可能性が結構あるのでは?と期待を持ったのが第一印象です。音質、ボーカルの聞こえ方も良かたからでしょうか。それに加えて、曲構成。以前から遁生に関しては聴きやすく構成されているなと賞賛しているところですが新曲もあってメリハリがあると聴きやすいのは確かです(先日行ったスリンガーのライブでは10分くらいの新曲をラストに演奏して間延びに感じられ、失敗だなと思いました。演奏者の思い入れもほどほどに、といったところ)。そして、何よりも新鮮だったのは、ダブル高橋さん。当然と言えば当然ですが、Voである安達さんばかりが強調されてしまうように感じられていたのですが、今回のDr、Bのダブル高橋ご両人の演奏振りは安達さんと張り合うようなものであったと感じています。以前からDrの高橋さんの楽しそうにドカドカ叩く姿は微笑ましく(?)痛快!と思っていましたが、印象はいま一つといったところでした。しかし今回はさらに勢いがあって安達さんとは違う勢いを発していたように思います。それはBの高橋さんにも言えることで三人の演奏の性質の違い、それは3人の性格の違いに繋がると思うのですが、見ていて程よい均衡が保たれていたと思います。

 遁生の皆さんが絶賛していたバンドは音では印象に残りますが言葉を乗せた途端、聴衆への吸収力が半減してしまったように思われました。今日の遁生は音でも言葉でも印象に残るように感じられ、3人の各々の個性が発揮され、各々のぶつかり合いが見れた。見るものは思わず惹き付けられます。この点が第一印象の理由。

 でも本当にファン以外の聴衆への吸収力があるのかどうか。音と言葉と。特に日本人が日本語で日本人に聞かせるということは。ぶつかり合いだけでいいのかどうか。音楽が時代に関わりながら活動していくこととは、とか。これは遁生だけでなく他の日本のバンド(インディーズもプロも)にしても言えることです。長く聞き続けられる日本の音楽は本当に数少ないように思われます。それがいいのか、悪いのかということも含めて、リスナーとしての私にとっても時々考えてしまうことなのですが、しかし、しかし、あれ狂う安達に力強く淡々とリズムを刻む高橋とメロディーラインを守りつつも奔放に我が道行く高橋。そんな想像が出来たいいライブだったと思います。

 蛇足ではありますが、これはファンである私の意見ですから、信頼できるものか疑わしいといえばそれまでなんですけれど。それでも少なくとも私が音楽を聴くときは、『音楽という出来事』という対象として考えるので、好み、不好みに関わらず、興味をもてる出来事には反応する姿勢でいるつもりです。やはり物言う創作者としては我は通さなくては。

 ちなみに「興味ない」も興味あることの内に含まれているんですよね。何が最悪かというと、何とも思わない、とも思えない…、「どうでもいいよ(=言葉なし)」でしょうか。それは対象が対象でなくなってしまう瞬間です。そうなったら、音楽、絵画、文学はもちろん、お笑いも、日常でのお喋りも、はい、それま?で?よ。ってなもんです。終わりなのです。創作者(とも限らないので発信者)としてはそれだけは避けなければならないことだと痛感する次第です。
 それでは、また。